2004年 夏に思うこと

1Dogジュニアクラス

「『犬ぞり』と聞くと特別な人達だけのドッグスポーツだと思ってしまう。」そんな声を時々耳にする。

なぜそう感じるのか考えてみた。

犬ぞりは雪上のドッグスポーツなので雪のない場所では出来ないと思われているからだろうか。確かに、「犬ぞりレース」は雪がなくてはできない。でも、レース前のトレーニングは安全さえ確保されていれば自転車や4輪バギーなどで十分にできる。逆に、自転車や4輪バギーでのトレーニングの方が犬をコントロールし易い。近所の河原や公園、林道・農道・田んぼのあぜ道などを使って犬達を走らせる。フェンスなどに囲まれた学校や工場の周りもちょっとしたトレーニングコースになるかもしれない。本州に住んでいる犬ぞり愛好家の殆どは、雪のない場所でトレーニングをし、渋滞覚悟で何時間かけてもスキー場に行くスキーヤーと同じにワクワクしながらレース会場に出かける。レース前に雪の上で橇を使ってトレーニングできる環境を持っているチームはほんのひと握りしかいない事を知ってほしい。

一・二頭引きのレースは、誰でも参加しやすいようにコースの両側をネットで囲われている事が多く、スタートすればUターンしない限りゴールへと導かれる。また、一頭引きにはマッシャーの他に犬を誘導する人間がコース内に入れるクラスもあるので、距離は短くても何度かレースを想定した練習をするだけで挑戦できる。実際に我が家で初めて犬ぞりレースに出る時、グランドで犬にハーネスを付け、ミニバイクのタイヤを引かせながら 20m 位の距離を犬と一緒に走った練習だけでレースに臨んだ。

その初体験のレースは、200m の直線。犬も人間も雪上のそんなに長い距離を走るのは初めてだったのでものすごく不安だったが、我が家の愛犬は、コース脇の観客や順番待ちの犬達を気にする事もなく、十数m先を走っていく自分の家族を夢中になって追いかけた。当然犬の足の方が早く、コースの半分過ぎた位で誘導していた人間は抜かされたが、勢いがついたのかそのままゴールまで走り抜き、マッシャーは初めての橇でブレーキがかけられずに、観客の目の前で派手に転んで人間ブレーキと化した。人間達は帰路の車中から3日間ひどい筋肉痛に泣かされたが、ゴールした後に犬が見せた何とも言えない嬉しそうな顔(その犬と五年間一緒に暮らしてきて初めて見せる喜びに満ちた顔だった)は今でも忘れられない。

我が家のチームメンバーが多頭引きに挑戦できるような数になった時、「一頭引きで走れる犬は多頭引きチームのどこの位置にいてもすんなりと走れるが、多頭引きチームのメンバーは一頭引きで走らせようとしても本来の能力を出せるようになるまでにかなりの時間を必要とする」と知った。

一頭しか飼っていなかった時は、毎日欠かさず散歩していた。それまで人間の前に出てはいけないと教えていたが、犬ぞりを意識してからはコマンドで前に出て引く事を教えた。

そう、その犬は毎日歩きながら一頭引きをしていた事になる。その時は知らなかったがそれがリーダー犬としてチームの先頭を走る為のトレーニングになっていたのだ。 だからレースでも人間が必ず自分の後ろにいると信じて前へ進む事ができたのではないだろうか。一方、最初から多頭引きで仲間と一緒に走る事を教わったチームドッグは、一頭だけで散歩に出る事もなかったし、いつも「多頭の中の一頭」として皆と一緒にいる事に安心感を覚えていたのかもしれない。一頭だけで走らせても、スタートして数秒で仲間がいない事に気付きスピードを落とす。それでも前に進んでくれれば良いのだが、走る意欲をなくした犬は匂いを嗅いだり観客に愛想を振りまいたりし出す。こんな経験から一頭引きで走れる犬は多頭引きのリーダー犬になれる素質を身につけていると感じた。

もうひとつ「犬ぞり」が遠い世界の事のように感じてしまう理由として挙げられるのは、時々テレビに映される犬ぞりが「多頭引き」で、しかもそのマッシャーは全人生を犬ぞりに捧げているような姿だからではないか?犬ぞり=多頭引きと感じている人は少なくはない。しかし、今現在犬ぞりを楽しんでいる人達のおよそ90%は一頭引きレースから始めている。一頭引きで犬ぞりの楽しさを発見し、犬ぞりでしか味わう事の出来ない感動を経験するからこそ、もっと速く、もっと長い距離をと、犬を多頭飼える環境にある人は犬を増やして多頭引きチームを作っていく。犬を増やせなくても来年はもっと良い記録をと、一頭引きを続けているチームもたくさんいる。トレーニングという大袈裟なものではなくても、ちょっとした練習だけで参加できる一頭引きにはそれだけ人を引きつける魅力があるのだ。多頭引きに比べたら走る距離は短いが、結婚式で新郎新婦が最初に行う共同作業である「ケーキ入刀」のように、一頭引きレースを愛犬と一緒に走らなければ犬ぞりの楽しさはわからないだろう。

一頭引きで犬ぞりの楽しさを知ると、多くのマッシャーが「いつかは多頭引きチームを持ちたい」と思い始める。しかし、いざ犬の頭数を増やし多頭引きに挑戦できるようになると、「犬ぞり」の奥深さを思い知らされる事となる。車の運転が上手いからといって、すぐにF1レースで活躍できるものではない。多頭引きチームを持つ為にはそれなりの努力と犠牲を必要とする部分もある。しっかりとトレーニングをしなければ長い距離を犬達とマッシャーだけで帰ってくる事はできないからだ。一週間の半分以上の仕事以外の時間はトレーニングに費やされる。レース会場までの交通費や宿泊費、犬達の食費などを賄う為には、他の娯楽を多少我慢しなくてはならない。ただ、犬ぞりに魅せられた人達は、努力を惜しまず、今までの生活を自ら変えていこうとするし、何かを犠牲にしたとは感じていないだろう。他のどんな娯楽よりも犬達と過ごす時間が楽しいからだ。

オリンピック選手の「練習は辛い。でも試合が終わったらまたすぐに練習したくなる。」と言った言葉は、とてもよくわかるような気がする。犬ぞりはオリンピック種目には入っていないし、ワールドカップのような大きなレースに出場できる程の技量はないが、トレーニングした分だけ犬達が「そり犬」として成長してくれるのが嬉しい。犬ぞりでレースに出る為の事しか教えていないのに、家にいる時にはいつのまにか素直な家庭犬となっている。犬と人間の境界線をはっきりと示さなければ犬ぞりチームとして成り立たない。そのお陰で我が家の犬達は、「人間は自分達の仲間だが、自分達より上の順位だ」と認識している。

最後に、私は必ずしも多頭引きを勧めているのではない。一頭引きでも多頭引きでもそれぞれの「犬ぞり」を楽しんでもらいたいと思う。それは初代の犬を見送り、長年私達を楽しませてくれた2代目の犬達が老犬となった今だからこそ言いたい。「犬ぞり」の目的が「参加する事に意義がある」と考えるか、「メダルを取るために参加する」か、どちらであっても自分の生活に合った無理のない「犬ぞり」で愛犬との貴重な時間を過ごして欲しいのである。

リードトレーニング
コマンドに従う事や真直ぐ前に進む事など犬ぞりに必要なルールを、一対一で教えるトレーニング。チームの先頭を走るという犬の不安を解消し、集中力を持続させ犬に自信をつける事ができる。


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